logo

「奈良の大仏」にとどまらない魅力 東大寺

東大寺 南大門

東大寺 南大門

東大寺 大仏殿

東大寺 大仏殿

東大寺 盧舎那仏

東大寺 盧舎那仏

東大寺 八角灯籠

東大寺 八角灯籠

東大寺 二月堂

東大寺 二月堂

東大寺 二月堂お水取り

東大寺 二月堂お水取り

東大寺 お水取り松明

東大寺 お水取り松明

東大寺 三月堂法華堂

東大寺 三月堂法華堂

東大寺 南大門
東大寺 大仏殿
東大寺 盧舎那仏
東大寺 八角灯籠
東大寺 二月堂
東大寺 二月堂お水取り
東大寺 お水取り松明
東大寺 三月堂法華堂

奈良を代表する観光スポット東大寺は、日本人旅行者だけでなく、外国人旅行者にも人気です。そしてさらに、東大寺のご本尊である盧舎那仏、通称「奈良の大仏さま」は奈良時代に造られてから現在に至るまで、時代を超えて親しまれ続けています。そんな大仏さまと東大寺の魅力を紹介します。

 

聖武天皇の時代、天然痘の流行や飢餓、政権争いなど様々な問題が重なったことから、国の平穏を願って建てられました。東大寺建立に携わった人数は当時の人口の約半分。国をあげての大事業だったといえます。

 

「たとえ草のひと枝
 一握りの土を運ぶことでも良い
 大仏造りに参加してほしい」

 

この聖武天皇の詔からも、東大寺建立は強制的な事業ではなく、人々の協力により造られたことがわかります。

平和な世を願う人々の思いが込められた東大寺ですが、火事や戦により焼け落ちてしまいます。鎌倉時代、江戸時代と建て直され、現存する大仏殿は江戸時代のものとなります。今、私たちが東大寺を訪れることができるのは、鎌倉時代、江戸時代にと時代を超えて奈良の大仏が人々に親しまれ続け、再建されたからといえます。奈良時代に造られたものの多くは焼失していますが、残っているものもいくつかあるので、それを見つけるのも楽しみのひとつです。

 

また、大仏殿の入場口を抜けて本殿を正面に見ると、本殿に向かう石畳が綺麗にラインを作っています。中央はインド産の石、その隣が中国産、さらに隣が韓国産、そして一番外側が日本産の意思を使っているそうです。これは仏教の伝来をあらわしているとのことです。細かなところひとつひとつにも理由があることに驚きます。

 

東大寺は全体で約69ヘクタールもの広さがあります。よく言われる東京ドームの広さを基準にすると約14.5個分。非常に大きな寺であることがわかります。

大仏殿の他にも南大門、二月堂、三月堂(法華堂)と見所が続きます。

 

南大門には運慶快慶で有名な慶派が作成した金剛力士像、阿形と吽形が納められています。この金剛力士像はなんと3000ものパーツを組みあわせてできていて、組み立ての際には顔の表情を見ながらパーツの位置を変えていたそうです。わずか69日で巨大な仁王像を造ることができたのも、分業の故でしょうか。

 

二月堂は「お水取り」で有名です。一年間の穢れを払い落とし、国の発展や国民の幸せを祈る行事で、毎年3月(旧暦2月)に行われています。赤く燃え盛る長い松明を抱えて練行衆が進む様子や、二月堂の舞台の欄干から降り落ちる火の粉の風景は、テレビや写真からも迫力が伝わってきます。二月堂の下にある若狭井から水を汲み、「お香水」と呼ばれるこの水を本尊に備えて、お水取りが終了となります。この様子をみたいと、毎年多くの人が二月堂を訪れます。

 

三月堂(法華堂)は、正倉院と同じ校倉造です。日本史の教科書で出てくる校倉造について、東大寺の一般的な観光コースの中でも見ることができます。積み重ねた参画の木組は、湿気に応じて伸縮することで室内の湿度を平均化し、収納物の保存に適したといわれています。今から1300年も昔の人の知恵に感心します。

 

東大寺には他にも、技術、謎、知恵など、様々な発見があります。

 ・大仏殿前にある鏡池は造られた池ですが、これは何のために造られたのか、

 ・大仏殿から二月堂・法華堂の方へ上がる途中にある26トンもある鐘楼を、当時どのように吊るしたのか、

歴史的な価値として、人々の思いの表れとして、当時の知恵の結晶として、いろんな角度からじっくり楽しんでいただけるお寺です。