2021年7月30日
現在、平城宮跡歴史公園での子ども向け学びのツアーとして木簡をテーマにした日帰りツアーを企画していますが、秋には飛鳥歴史公園でも日帰りツアーの企画を考えております。その視察の様子を紹介します。
飛鳥時代といえば、「聖徳太子」「蘇我氏」「大化の改新」「仏教伝来」といろんなキーワードが浮かんできます。どんなテーマで取り上げたら子どもたちが飛鳥時代に興味をもつだろう。日帰りツアーのストーリーを考えながら、まずはキトラ古墳へ。
キトラ古墳は飛鳥時代の前の古墳時代後期に造られたと推測されています。誰の古墳かは判明していませんが、豪華な副葬品や鮮やかな装飾を施していたと思われる木棺などから、身分の高い人のお墓であったことがわかります。
キトラ古墳の壁画は本格的な天文図をはじめ、青龍・白虎・朱雀・玄武の四神や、動物の頭と人間の体で十二支を表した獣頭人身十二支像が描かれているのですが、1400年前の鮮やかな色彩の壁画が発見されたときは、新聞やテレビで話題になりました。
1400年前の壁画は国宝にしてされていて、年に4回、期間限定で公開されています。
キトラ古墳は発掘後に埋め直され、発見時の姿に戻っています。古墳の前には壁画に描かれたいた四神の乾拓版が置かれているので拓本をとることができます。
キトラ古墳に隣接して建てられた「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」では、キトラ古墳やキトラ古墳壁画を分かりやすく紹介しています。発掘の様子を紹介するシアターもあり、楽しく学べる施設になっています。
続いてキトラ古墳と同時期に造られた高松塚古墳へ。
高松塚古墳も石室の壁画有名で、特に四季彩鮮やかな女子群像は日本史の教科書にも登場します。高松塚古墳も「高松塚壁画館」で壁画発見当時の現状模写や副葬されていた太刀装飾金具、海獣葡萄鏡のレプリカなどを展示して、高松塚古墳のことをわかりやすく紹介しています。
古墳つながりで飛鳥で有名な「石舞台古墳」へ。
元々は1辺が約55メートルの方墳だったとされていますが、今では大証約30個の石が重なって作られた石室が露出した姿となっており、その様から石舞台と呼ばれるようになったと言われています。
近づくとその大きさに目を疑います。そして、どうやってこの山の中腹まで運んだのだろう、石を積み重ねたのだろうと、トラックもクレーンもなかった飛鳥時代の人々の技術の高さに驚き入ります。
大きな石室ですから古墳自体も相当な大きさ。石舞台古墳が築かれた当時にそれだけの権力を有していた人の墓と予測でき、そして付近に蘇我馬子の庭園があったことから、蘇我馬子の墓とする説が有力です。蘇我馬子の墓だとしたら、当時の天皇のものといわれる古墳よりも上に造られていることからも、天皇をもしのぐ力を有していたのだろうな。そんなことを考えながら石室に入るとその広さを実感します。
さらに、古墳つながりで「岩屋山古墳」と「中尾山古墳」へ
岩屋山古墳は石舞台のように石室が露出しているのではなく、古墳の形を残したまま石室が残っていて、実際に入ることができます。精巧にカットされ、表面を磨かれた巨大な石を積み重ねた石室は美しい造りです。石室内の水が外に排出されるような排水施設もみられ、当時の工夫がみてとれます。
中尾山古墳は高松塚古墳のすぐ近くにあります。小さな古墳ですが、天皇陵独特の八角形墳。そしてこの古墳の石槨(石で作った棺を入れる箱)からすると骨壺が納められていたたと考えられています。当時火葬された天皇は持統天皇と文武天皇と考えると、文武天皇の墓なのでは。でも、文武天皇陵は他で見つかっています。では一体誰のお墓なのか。。。古墳ミステリーにワクワクします。
その他、酒船石や亀石といった巨石も見てきました。子ども向けの学びのツアーにははずせません。どうしてこんな石が造られたのか、当時の人々はどんな思いで見ていたのか、実際に石を目の前にしていろんな話を聞いたら、日本史に興味をもってくれるかしら、と思いながらまわりました。
飛鳥時代を代表する人といえば聖徳太子です。聖徳太子ゆかりの飛鳥寺と橘寺にも立ち寄りました。
飛鳥寺の仏像はほっそりとした面長の顔立ち。仏教伝来時はこの顔が主流だったそうです。奈良時代に近づくにつれてふっくらとしたお顔になっています。仏像に全く興味がなかった私も、飛鳥と奈良を訪れるうちに、仏像マニアに近づいています。
橘寺には人の善悪を具現化したといわれる二面石があります。
写真には撮れませんでしたが、奥にある往生院の格天井は一つひとうの格子に美しい花の絵が描かれています。畳にごろんと寝転んで天井画を眺めていると時間のたつのも忘れます。
飛鳥宮跡や時間を知るための水時計跡も視察。
飛鳥宮は乙巳の変(大化改新)のはじまりの舞台となった場所です。日本史の教科書の舞台がここなのか、と思いながらその場に立ちました。飛鳥時代から時間を把握し、それに合わせて生活をしていたということにも驚きます。
最後に訪れたのが甘樫丘。ここに登ると、開発の進む橿原方面と、田園風景の広がる飛鳥の違いがみて取れます。この甘樫丘には蘇我氏の邸宅があったとのこと。飛鳥宮を見下ろす丘に建てるだなんて、どれほど蘇我氏が力を持っていたのかを実感します。教科書を読むだけでは感じない、実際にその場所を訪れるからこそわかる生きた学びの場だと思いました。
飛鳥時代から続く歴史の先に今があります。その地に立ってみると、地形やを感じる空気感、水や風の音などから、歴史が立体的に感じられてくるから不思議です。素材は豊富な飛鳥の地を舞台にして、楽しみながら学べる企画が今の私の楽しみです。